アーティスト 田村 大(前編)
- Sketch Creators Vol.4
「あきらめた夢の先にあった、絵で生きる世界」

sketch(スケッチ)とは、人物や風景などを描写すること。連載インタビュー企画「スケッチクリエイターズ」では、素晴らしいクリエイションを生み出すさまざまなクリエイターへのインタビューを通じ、彼らの創作の背景を言葉と写真で写しとっていきます。

第4回目にご登場いただくのは、バスケットボール選手をはじめとするアスリートの絵で国内外のファンを魅了する、アーティストの田村大さんです。バスケットボール選手を夢みた少年が、いかにして絵の道を歩むこととなったのか。前編ではそのバックボーンに迫ります。

2018年の独立当初に描かれた田村さんの自画像。当時のアトリエの様子が描かれています。

絵とバスケットボールに魅了された少年時代

田村さんが絵を描いた最初の記憶はいつ頃ですか?

保育園に通っていた頃から、絵を描くのが好きでした。よく覚えているのが、自宅を建て替えることになったとき、両親が「部屋の壁に絵を描いていいよ」といってくれたんですね。思いっきり絵を描いたので、建て替えの時期がずれ込んだ際は壁を塗り直したのですが、僕はまた絵を描いてしまって(笑)。それでも両親は怒ることなく、僕を褒めてくれたんです。

素敵なご両親ですね。当時はどのような絵を描かれていたのですか?

部屋の壁に描いたのは、抽象的なものです。小学校へ上がると、『週間少年ジャンプ』や『週間少年マガジン』に掲載されている少年漫画を模写するようになりました。ストーリーをじっくり読むというより、とにかく絵を描き写していたんです。中でもよく模写していたのは鳥山明さんの『ドラゴンボール』。『ろくでなしブルース』の前田太尊、『幽☆遊☆白書』の浦飯幽助、『ジャングルの王者ターちゃん♡』のターちゃんなど、連載漫画の主人公を全員描いたこともありましたね。

スーパーサイヤ人となったNFLのボン・ミラー選手を描いた作品。

かといって家にこもって絵ばかり描いているわけでなく、外で遊ぶことも好きだったんですよ。土日は野球、平日はバスケットボール、絵を描くのは家にいる時間や授業中といった感じで。中学ではバスケットボール部の活動に打ち込むようになりました。

中学の友達の家でNBAの試合を観させてもらったときは、マイケル・ジョーダンの存在に感激しましたね。それでジョーダンの写真集を買って、彼の絵を描いていました。当時、絵を描く動機って、その対象が「カッコいい」からなんですね。少年漫画も、ジョーダンも、すごくカッコいい。そんなカッコいいものを描きたいなと思っていたんです。

上達への近道は、地道な練習をつづけること

部活に励みながらも、絵を描き続けていたのですね。

主に授業中ですが(笑)。中学の頃はプロのバスケットボール選手になりたかったんです。高校はバスケットの強豪校である八王子学園 八王子高等学校へ進学し、インターハイでベスト8まで進んだんですよ。ただ僕はスタメンになれなくて、そこであきらめがついたというか。大学では自分が活躍できるレベルの場所でバスケットに取り組もうと決めていました。

NBAのカイリー・アービング選手。マルマンの「図案スケッチブック」に描かれています。
美術大学への進学を考えたことはなかったのですか?

バスケットのことしか頭の中になかったので。絵を仕事にするなんて、まったく頭にありませんでした。いまにも通じることですが、毎日バスケットが上手くなりたい一心だったんです。自己ベストと向き合い、どんなにつらくても練習を頑張る。やっぱりキツイので退部するチームメイトも多かったんですけど、途中で辞めるのは負けたようで嫌だったんですね。歯を折ったり、指を脱臼したり、肉体的な故障もいろいろありましたが、何が何でもやりきろうと考えていました。

「ちょっと練習したからといって、ちょっと上手くなるというものではない。練習を続けていると、ある日一段上がるときが来るから、それまで我慢しなさい」という、指導に来てくれた日本代表の監督の言葉はずっと胸に残っています。なかなか上達しなくても、こう思えばいいんだと。その監督が仰ったように、あるときこれまで見えなかった相手の動きが捉えられる感覚を何度も経験したんですよ。

まさに「千里の道も一歩から」ですね。

絵も同じだと思うんです。上達したいのなら、まずは描く。そうした努力は自信にも繋がります。カリカチュアの世界大会で優勝を狙ったときも、どんなに忙しくとも、どんなに疲れていても、絵を描き続けました。「自分はこの大会に向けて、世界一絵を描いてきたんだ」という自負は強みになる。もちろんやみくもに絵を描くのではなく、優勝者の傾向を分析し、必要な知識と技術を身につけるために練習をするんです。

チャイルディッシュ・ガンビーノ『This is America』のグラミー賞受賞を祝して描いた作品。

「好き」を仕事にするために

「絵を仕事にしよう」と決意されたきっかけは何だったのでしょうか?

プロバスケットボール選手になる夢をあきらめてからは、とくに何も考えていませんでした。でも周りが就職活動をはじめたとき、「自分はこのまま何かの合間に絵を描いていくのかな」と思ったんですね。授業の合間に絵を描いていたように、仕事の合間に絵を描くこと想像したら、すごく嫌で。それで遠回りかもしれないけれど、きちんと絵の勉強をしようと決めたんです。

NBAのステフィン・カリー選手が出演する楽天のオリジナル番組『ザ・ライジング~HOOP ORIGINS~』のメインヴィジュアルとなった作品。
それで桑沢デザイン研究所に入学された。

はい。倍率の高い専門学校ですから、大学3年生から美術予備校に通い、なんとか合格することができました。ファッション、インテリア、プロダクト、グラフィックなど、デザインを総合的に学ぶのですが、そこで「絵だけで食べていくのは難しい」と知ったんです。そしてアートとデザインの違いについて考えるようになるんですね。

先生から言われて印象的だったのは、「何かを食べたとき、『美味しい』と思わず口に出るのがアート、『これ、美味しいですよ』と伝えるのがデザイン」だということ。それまで描いていた僕の絵は、一種の自己満足。絵を活かせる仕事として広告業界を見据えるようになっていたので、デザイン寄りの絵にシフトしていきました。要はターゲットを意識し、コンセプトを伝えるための絵を描くようになったんです。たとえば「自殺予防週間」をテーマにしたポスター制作の課題の場合、自殺を思いとどまってもらうための言葉が目に飛び込む手段としての絵を描くといったように。

マルマンの「図案スケッチブック」に描いた作品の数々を振り返る田村さん。

カリカチュアスクールの門を叩き、いざ絵の世界へ

桑沢デザイン研究所卒業後はどちらに就職されたのですか?

高校のバスケット部のスポンサーになってくれていたバスケットボール用品メーカーです。代表の方が「バスケとデザインをやっている人材は貴重だから」と誘ってくれたんですよ。そのとき掲げていた目標は「デザインの仕事で食べていくこと」だったので、まずは実践を積もうと考え、入社しました。

ここで得た経験は大きかったですね。小さい会社ゆえ、AdobeのIllustratorやPhotoshop、InDesignのスキルを働きながら習得できましたし、ユニフォームのデザインやカタログ制作など、さまざまなデザイン業務を担当させてもらいました。仕事は充実していたのですが、若干マンネリ気味になっていた入社2年目、会社がスポンサーをしている実業団のチームがBリーグ(国内男子プロバスケットボールリーグ)で優勝したんです。それで優勝記念Tシャツにプリントするチームメンバーの似顔絵を僕が描くこととなり、描いてみたらすごく楽しかったんですよ。

NBAファイナル2020で優勝を果たしたロサンゼルス・レイカーズのメンバーと、同チーム一筋で活躍したコービー・ブライアント。
その経験がカリカチュアの世界に入られた契機となったのですね。

そうなんです。調べたらカリカチュアの似顔絵店を運営する会社のスクールがあることを知り、働きながら通うことにしたんですね。授業は土曜日なのですが、平日は夜遅くまで仕事があるので課題をこなせません。となると、土日に課題を制作するしかない。それまで週末は仕事の息抜きにバスケットをしていたんですけど、週に2時間しかできないバスケットのために、週5日間「大好き」と言えない仕事をするのなら、カリカチュアに賭けよう、次のステージへ向けてバスケットを辞めようと決意しました。身体も学生時代より動かなくなっていましたし、趣味がストレスになったら元も子もない(笑)。スクールのプロ養成コースを受講後、無事に入社試験をパスし、転職をしたという流れですね。

働きながらカリカチュアを学び、練習を重ね、カリカチュアアーティストとして似顔絵店に入社されるというのは、並大抵の努力ではなかったかと思います。これまでのお話を伺っていても感じるのですが、田村さんは定めた目標に向けて、常に全力で取り組まれていますよね。その原動力はどこから湧いてくるのでしょうか?

僕は負けず嫌いなんです。「負けたくない!」と、小さい頃から戦い続けている(笑)。「何かに」というより、自分に勝ちたいんでしょうね。バスケットの経験も活きていて、ポジションが試合を組み立てるポイントガードだったこと影響していると思います。人生の岐路に立ったとき、「いまは第1クォーター。ここがふんばりどころなんだ!」と、仕事に置き換えて考える思考になっていますから。

田村さんのアトリエは物が少なく、とてもシンプルな空間です。

 

《プロフィール》

 

田村 大(たむら・だい)
アーティスト

 

1983年東京都生まれ。似顔絵制作会社に7年間勤務し、約3万人の似顔絵を制作。2016年に似顔絵の世界大会「ISCAカリカチュア世界大会」で総合優勝を果たす。2018年に独立し、絵を通じて企業のマーケティングを支援するDT合同会社を設立。バスケットボール、野球、サッカー、テニスなどさまざまなジャンルで活躍するアスリートの絵を制作し、Instagram(@dai.tamura)のフォロワーは10万人を超える。2019年からは本格的にアーティストとしての活動をスタートした。