漫画家 堀 道広(前編)
- Sketch Creators Vol.6
「モブキャラが憧れて掴んだ漫画家という仕事」

sketch(スケッチ)とは、人物や風景などを描写すること。連載インタビュー企画「スケッチクリエイターズ」では、素晴らしいクリエイションを生み出すさまざまなクリエイターへのインタビューを通じ、彼らの創作背景を言葉と写真で写しとっていきます。

第6回目にご登場いただくのは、元漆職人という異色の経歴をもつ漫画家の堀 道広さんです。漆工芸を学んでいた青年が、なぜ漫画家になったのか。青春期のエピソードから漆職人時代の話、漫画家を志した背景などを探ります。

堀さんのデスク前のボードには、ラフや娘さんが描いた絵、メモなどが貼られています。

“スーパー人間”だった小学生時代

「漫画」と「漆」。関連性があまりないように感じられるこの2つをお仕事にされている方は、世界中探しても堀さんだけかと思います。漫画家と漆職人、どちらを先に志したのでしょうか?

小さい頃は漫画家とか、人並みに憧れていましたね。絵を描けば賞をとるタイプの子供だったんです。手を抜いて描いても賞をとることが分かっていたので、風景画を描く授業ではわざとそのへんにあるゴミ集積場なんかを描いて、それでも賞をとってしまうことに快感を覚えるあざとい子どもでした(笑)。いま考えると、母親が通う油絵教室についていったりしてたので、単に経験値が高かっただけだと思うんですけど。

小学生の頃は「神童」と呼ばれていたとか。

自分で言うのも何なんですけど、小学生時代の僕はスーパー人間だったんです。勉強も運動もできるうえ、絵も上手い。小学校の児童会長にも推薦されたんですけど、選挙のときに全校生徒の前で「僕はやりたくありません!」と言い、颯爽と壇上を降りたというカッコいい伝説もあります(笑)。ただあまりにも完璧すぎて、一目置かれている感じが嫌になってきたんですね。それで中学校からキャラ変したんです。一番アホそうなヤツと友達になって、みんなの前でおならをしても平気になり、成績も急激に下がっていきました。受験の頃には勉強をしてもしても学力が上がらず、入れた高校のランクは中の中。入学した時点で「モブキャラ人生決定だな」と感じていました。

堀さんのご自宅兼アトリエで取材を行わせていただきました。

モブキャラ人生への納得と葛藤

『おれは短大出』でも、主人公の歩留よしおが短大の入学式前に、地元のアルミサッシ工場へ就職し、短大で出会った女性と結婚、ささやかだけれども温かな家庭を築き、永眠するまでを想像しているシーンがありますよね。普通かもしれませんが、その“普通”ってすごく難しいですし、とても幸せな人生のように感じます。

僕はそういった“普通”以下。普通のコは学校生活を楽しんだり、彼女をつくったりしますけど、僕は鬱屈としたダメ人間でした。僕も短大出なので、そこで出会ったコと結婚して、学校が斡旋してくれる地元の工場に勤めてっていう、「モブキャラにはモブキャラなりの人生がある。それで十分幸せじゃないか」と思っていた節があったんです。その反面、美術系の道への憧れを捨てきれずにいて。結局卒業しましたが、短大も「どこかで辞めてやろう」と考えていましたし。『おれは短大出』は、半分くらいが本当の話。だから買ってほしいけど、読まれたくないんです(笑)。

ご自宅には堀さんが趣味で集めたという国籍不明の民芸品や雑貨の数々が、いたるところに飾られています。
あの衝撃的なストーリーの半分が堀さんご自身のエピソードだと考えると、感慨深いものがあります(笑)。その短大というのは国立高岡短期大学(現・​富山大学芸術文化学部)ですよね。なぜ漆工芸を専攻されたのですか?

もともと美大志望で、グラフィックデザインを学びたいなと考えていました。ただどこも受からず、滑り止めで受けた短大に入っただけ。辞めるつもりでいましたから、デザイン、木材工芸、金属工芸、漆工芸の中からもっともラクそうに感じた漆を選んだんです。いま思うとものすごく失礼な理由だし、生意気でした……。

最初は漆器に漆で絵や文様を描く蒔絵を専門するつもりでした。でもカッコいい図案を目指してみるものの、伝統的な図案しか見るに堪えないんですね。若者が描く新しい図案って、なんかこうどこかカッコ悪くて、やっぱり古典的な図案こそ普遍的であり美しい。とはいえ伝統的な図案を描きつづけるのは、面白くないというか、性に合わなくて。それで装飾や文様を描かない無地のうつわ、髹漆(きゅうしつ)に惹かれるようになりました。赤と黒しかない色の世界で表現する形が、カッコいいなと。だから高岡短期大学卒業後に入った石川県立輪島漆芸技術研修所では、お椀の形だけを追求していたんです。むちゃくちゃストイックに、いい形のお椀の形だけを追い求めていました(笑)。

現在、堀さんが使用している金継ぎの道具。

ターニングポイントとなった塗師・赤木明登さんとの出会い

漆芸技術研修所在学中の1998年、『月刊漫画ガロ』でデビューをされています。漆工芸を学びながらも、小学生の頃から得意だった絵は描きつづけていたのでしょうか?

いえ、ずっと絵は描いていませんでした。漆芸技術研修所に入った後、学校の先輩に誘われて塗師の赤木明登さんの工房でアルバイトさせてもらうことになったんですね。赤木さんは生き方も、考え方も、生み出す作品も、すべてがカッコよくて、自分がどれだけ頑張って漆に取り組んだとしても、到底敵わないなと思い知らされたんです。それならば赤木さんとは違うことをやろうと考えたとき、誰よりも絵が上手かった過去の記憶が蘇ってきたんですよ。中学、高校、短大でも、自分はダメだった。でも小学生時代は輝いていたなという、栄光の記憶ですね。そこから趣味として漫画を描くようになりました。

堀さんの恩師であり「到底敵わない」と話す赤木明登さんは、石川県能登・輪島を拠点に活躍し、現代の日本の工芸界を牽引する作家です。
初の単行本は『青春うるはし! うるし部』。堀さんが取り組んできた漆を題材にした作品でした。漫画雑誌『アックス』(『月刊漫画ガロ』の事実上の後継誌)にて、2003年〜2006年に連載していた作品をまとめたものだそうですね。

漆芸技術研修所修了後、上京して漆職人の仕事に就きながら持ち込みをつづけていたのですが、『ガロ』でデビューしていたとはいえ、箸にも棒にもかからない時期が3〜4年ほどあったんですね。僕がもっているのは漆だけ。だから漆をテーマにした漫画を描いてみたんです。それを『アックス』の新人賞に投稿したら入選できて、連載が決まりました。それが『青春うるはし! うるし部』です。

ちなみになぜガロ系の漫画雑誌だったのですか? 『週刊少年ジャンプ』や『ビックコミック』などではなくて。

つげ義春先生、水木しげる先生、蛭子能収先生、根本敬先生、みうらじゅん先生といったアンダーグラウンドな漫画が好きで、こういう世界しか考えていませんでした。『週刊少年ジャンプ』は小学生のときしか読まなかったですね。

ご自宅の2階に堀さんの仕事部屋があります。

“上手な絵”は独自のタッチにならない

『青春うるはし! うるし部』の頃から、絵のタッチが独特ですよね。圧倒的に絵がお上手だったとのことですし、“ヘタウマ”な絵を描かれる作家さんは、実際はものすごく技術力が高いという印象があるのですが。

一般的な漫画家さんのようなタッチはもちろん、正直いろんなタッチで描けたと思います。最初の方は自分も上手に描いていましたしね。でもだんだんしんどくなってきて。それに少年漫画のタッチになると、少年漫画というカテゴリに入るだけになってしまいます。僕はそこにあまり価値を感じていなくて。独立系というか、自分だけのタッチを探していました。性格もあまのじゃくですし(笑)。

『青春うるはし! うるし部』は、割り箸ペンで描いているんですよ。漫画家さんがよく使うGペンが苦手だったというのもあるんですけど、小学生のときに割り箸ペンで描いた絵を褒められたから、それで(笑)。だけど割り箸ペンってインクの含みがよくないので、線を1本描く度にインクをつけなければならず、1枚原稿を描くのに6時間以上かかっていたんですね。しかも線を描き損じたらすべて描き直していましたし。漫画家さんの生原稿って、ホワイトを使わず綺麗なイメージがあったので、自分も綺麗な原稿にしたいなと思っていたんです。ただ割り箸ペンの効率の悪さに気づいてミリペンにしたら、1枚1時間で描けるようになりました。

その場で描いてくれた「一休さん」。最近はこちらの一休さんの顔のフォルムにハマっているそうです。
すごい……! 『青春うるはし! うるし部』はまさに努力の結晶なのですね。当時、漆屋さんで働きながら漫画を描かれていたそうですが、どちらに軸足を置かれている感覚だったのですか?

漆屋さんでの仕事は、漫画家のかたわらで行うアルバイトの感覚でした。でも住み込みだったので、がっつり働いていたんですけどね(笑)。漆屋の社長さんに「会社の上が空いてるから住めば?」って言われ、ビルの屋根裏みたいなところでねずみのように暮らしてました。お風呂なんてないから、洗面所で身体を洗ったり。給料は月給9万円とめちゃ安だった分、残業はまったくなかったんです。その時間で漫画を描けたので、よかったといえばよかったのかな。

すでにモブキャラでなく、主役級のエピソードです(笑)。

どん底でしたけどね。でもこういう感じがけっこう好きだったんです。風呂なしアパートに住んだり、花屋さんの空き店舗に住んだり。ちょっと面白いなって(笑)。仕事は32歳で結婚するまで、漆屋さんで働いていました。といっても漫画家の仕事が安定したわけではなく、ただ会社を辞めただけ。だからいろんなバイトをしましたよ。葬儀屋さんとか、新宿駅の掃除とか、焼き鳥工場の串打ちとか。どこも楽しかったです。

この日、堀さんが着ているTシャツは、イラストを提供した美容室「bocco」の10周年記念のノベルティ。

日の目を見ずとも、自分にあるのは漫画だけ

30歳というひとつの節目やご結婚を機に、決して順調とはいえなかった漫画家としての仕事から足を洗い、漆の仕事に本腰を入れようとお考えになったことは?

僕は18歳から漆に携わっているので、漆には精通していたんですね。でも学生時代に赤木さんと出会い、その時点で、漆で赤木さんを超えることはできない、漆ではない道で成功しないとダメだと悟っていました。どこかで赤木さんと対等になりたいと思っていたのかもしれません。漆で無理なら、僕には漫画しかない。僕にとって赤木さんはとてもつもなく大きな存在だからこそ、自分の人生は自分が主人公にならなくちゃいけないなと。そうでないと、赤木さん主演の物語の登場人物になってしまうなと思ったんです。

2021年7月に発行された近著『うるしと漫画とワタシ -そのホリゾンタルな仕事-』には、赤木明登さんとの対談も掲載されています。
それこそまさにモブキャラになってしまうと。堀さんはどのような漫画を描きたいとお考えでしたか?

『青春うるはし! うるし部』に出したのが、『耳かき仕事人サミュエル』という耳かきによる暗殺集団に加入することとなった男の漫画なんですけど、「自分はどんな漫画を描きたいのか」と探しつづけている気がしています。だからすべての漫画が習作。この思いはいまも変わっていないですね。

中古物件をリノベーションされたというご自宅は、温もりに溢れた素敵な空間です。

《プロフィール》

 

堀 道広(ほり・みちひろ)
漫画家

 

1975年富山県生まれ。高岡短期大学(現・富山大学芸術文化学部)漆工芸専攻卒業後、石川県立輪島漆芸技術研修所を修了。1998年『月刊漫画ガロ』でデビュー。漆職人として勤めるかたわら漫画の持ち込みをつづけ、2003年、第5回アックス漫画新人賞佳作。以来、特徴ある絵柄で地道に活動を続ける。漫画の仕事と平行して、割れた陶器を漆で修復をする教室「金継ぎ部」を主宰。金継ぎによる器と漆器の修理、漆の小物製作など、その活動は「うるしと漫画」の分野でのみ特化する。著書に『青春うるはし! うるし部』、『耳かき仕事人サミュエル』、『おれは短大出』(ともに青林工藝舎)、『パンの漫画』(ガイドワークス)、『おうちでできるおおらか金継ぎ』(実業之日本社)、『うるしと漫画とワタシ -そのホリゾンタルな仕事』(駒草出版)など。